先輩を訪ねて

Persons



現在はどのようなことをされていますでしょうか

昔は日本橋や三宮の電気店で真空管やICを漁っているような「電気小僧」と言われる子供達が多く居て、自分もアンプ・ラジオ・スピーカー等を作るのが大好きな子供の一人でした。自然にコンピューターとソフトウエアに興味を持ち、就職してからも同じ事(ソフトウエア開発を主に)をやっています。入社以来事業部門で分析装置の開発に従事していたのですが5年ほど前に中央の技術研究部門に移りました。最近は、IoTビジネスのシステム構築に取り組んでいます。

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

めぐり合わせと思っています。学生だった40年前は、阪大の大型計算機センターでもパンチカードでプログラムを作っているような時代でした。入社当時、8bitの貧弱なCPUを使用して64kバイトの小さなシステムを作っていたのが、現在開発しているソフトウエアは数百万行の規模になり、スマートフォンやタブレット、更にクラウドやAIの時代に変わっています。先人が居ない状態で、めまぐるしく変わる環境に対応するため、手探りで仕組みを作っていくのが仕事でした。今の学生さんは、小学生からパソコンやネットに親しんでおり、全く自分の物差しでは測れない世代だと感じますが、彼らが中心になって活躍する未来がとても楽しみです。

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

「学問には誠実に」という事でしょうか。 あまりできの良い学生ではなかったので、授業についていくのに必死だったような印象があります。大学近くのお寺に下宿していましたが、そこには理学部の同期生が何人も住んでいました。彼らと連日お酒を飲みながらTVで野球観戦していました。最近は下宿と言ってもアパートが中心なようです。プライベートは尊重されるものの、モラトリアムともいえる、無駄だけど濃密な時間を持つ事が少ないようなのが残念です。

大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください

幾つかあります。一つ目は大学入学直後の授業でたまたま出された 「浮き袋に穴が空いた。この穴を使って浮き袋を裏返せるか」 という問題をさらさらと解いた同級生がいた事。とんでもない所に来てしまったと思いました。二つ目は、城崎で開催されたシンポジウムの帰りの電車の中での出来事です。一緒に行動していた先生方が「暇だから将棋でもしようか...」と言って、頭の中の将棋盤で対戦を始めました。周囲の乗客が、「嘘だろ」 と ポカーンとした顔をしていたのがとても印象に残っています。


浮き袋裏返し
"浮き袋に穴があいた。この穴を使って浮き袋を裏返せるか?"という問題に対して同級生が証明した方法です。

これからの大阪大学理学研究科について、提言等ありましたらお教えください

島津製作所は毎年たくさんの阪大生に選んでいただいています。 阪大は昔から実学重視・教育熱心という特長があり、皆さんよく勉強しているので安心感があります。一方、自分も含めて金太郎飴のように、同じベクトルを持った人が多いようにも感じています。企業の求める人材は、イノベーティブな特性を持つ人に比重が移ってきています。 阪大発のベンチャービジネスの創出や、産学連携活動など、起業の風土がより求められていくのではないでしょうか。

今後やってみたいことはどのようなことでしょうか

仕事の関係で多変量解析の知識が必要になり論文を読んだり、基礎工の数理教室で教えて貰ったりする機会がありました。やはり数学は楽しいという事を実感しました。 時間が取れるようになったら、屋根裏で眠っている岩波の数学全集を取り出して小平先生の解析入門を読み返してみたいと思っています。楽しんで読めそうな予感があります。 

理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか

ふとしたきっかけで、旧友に連絡を取ったところ、またたくまにお世話になった先生や、同級生の何名かと再会する事ができました。同窓生というのは同じ志を持ち、同じ時間を過ごした人達ですからとても居心地が良いものです。一方、異なったベクトルをもつ人達と互いに尊敬しながら仕事をするのも楽しいものです。 やはりグローバルな時代ですから、多様性と変化を求めながら、たまに根っこにある理学部出身の礎と誇りを思い出すのが自分にとっての理学友倶楽部でしょうか。 

最後にひとこと

理学部の発展と、皆様のご活躍を祈っております。


ウィリアムズバーグ
バージニア州の古都を訪問したときの記念写真です。


パンプキンケービング
ハロウイーンに自分でカボチャを切り抜いて作ったジャック・オー・ランタンです。

経歴

1983年03月

大阪大学大学院理学研究科(修士課程)数学専攻卒業

1983年04月

㈱島津製作所 計測事業本部開発部入社
以降 主に光分析装置の開発に従事

1995年08月~
1999年08月

米国の子会社にソフト開発の為出向
帰国後はソフトウエア開発全般に従事

2012年04月

ソフトウエア開発センター センター長、島津エス・ディ株式会社取締役兼任

2013年04月

総合デザインセンター 設計技術ユニット ユニット長

2015年10月

総合デザインセンター シニアマネージャー 現在に至る

2017年5月25日 掲載