先輩を訪ねて
Persons
新たな研究室を創設する
希有な機会に自身の半生を投じて
助教授をしていた神戸大学を離れ、私が大阪大学に赴任したのは1991年。東大時代に地球物理学を教えていただいた指導教官が退官され、阪大理学部に宇宙地球科学科(※当時)を設立するために着任されたのがきっかけでした。私もその創立メンバーのひとりとなり、その後2012年まで阪大で同位体宇宙地球科学の研究に従事することになりました。研究室の創立当初は、現在のように独立した研究棟はなく、学生も数人と少なかったですね。それが研究が進み、社会から注目も集める中で、大学院の専攻もでき、大きな研究機器も設置することができました。新しい研究室を創るという経験は、苦労もありましたが、刺激とやりがいに満ちたものでした。
※理学部宇宙地球科学科は、1995年4月に、現在の理学研究科宇宙地球科学専攻になりました。
大学では美術の歴史などを学んでいます。
実技の授業もあって、楽しみながら作品を作っていますよ。
宇宙地球科学の研究を続けつつ
興味に身を委ねて新しいチャレンジも
退職後も論文を発表したり、阪大に講演を聴きに来たり、半生を捧げた研究からはなかなか離れがたいですね。
一方で、自身の興味に身を委ね、積極的にチャレンジをするようにもしています。中でも大きなものは、東京芸術大学への入学です。実は高校生の頃、日本画家になりたかったのです。当時は親に「芸術では食べていけない」といわれて断念し、物理の道に進んだのです。その夢を果たそうと、受験を決意。実技で試験に合格するのは困難なので、美術史や美術学を研究する芸術学科にチャレンジしました。センター試験の勉強はもちろん、世界史の教科書を開くなんて、何十年ぶりだっただろう(笑)。高校生に混じって試験を受ける経験もそうでしたが、入学後に同級生である若者たちと切磋琢磨する経験は刺激的です。「松田さん、ノートを貸してください」なんていわれてます(笑)。教授も私より年下ですね(笑)。卒業する頃には、70歳。最高齢の卒業生になるんじゃないかな。
宇宙地球科学の研究をマイペースで続けながら、積極的に興味を持ったことに挑戦しています。
次は養蜂と骨董に挑戦しようと思っています。
出会いは人生を豊かにしてくれる
サイエンスがその楽しさを教えてくれた
芸大には、新幹線で月曜に行き木曜に帰ってくる生活をしています。宿泊はカプセルホテル。カプセルがまるで宇宙船みたいで、研究していた宇宙に旅行している気分を楽しんでいます(笑)。実は娘も東京芸大生。院に通っています。娘が先輩なんですよ。初めてのひとり暮らしを楽しんでいるようなので、私は私で久々の学生生活をエンジョイしているという感じですね。最近、友達になった70歳の画家から「いくつになっても出会いはあるものですね」といわれましたが、年の離れた同級生と出会える、新しい学びと出会える、それを楽しむ新たな生活と出会える、そんな貴重な経験ができたことは、本当に幸せだと思います。
これもサイエンスを学んだおかげだと思います。サイエンスは、身近な物への興味からスタートし、掘り下げていく学問です。いろんなことに興味を持てたおかげで、私はこうして退職後の生活も楽しめているのだと思います。ぜひ皆さんも自然の不思議や謎の探究を楽しみ、人生を豊かにしていただきたいと思います。
著書情報
「隕石でわかる宇宙惑星科学」(大阪大学出版会)
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