先輩を訪ねて
Persons
現在はどのようなことをされていますでしょうか
2015年3月で36年勤めたオリンパスを去り、何社かの顧問を担当しています。
株式会社ニューネクストは、プロトタイプや試作品を請け負う会社で、ここでは主に構想設計を担当しています。
また京都の会社(LED光源メーカー)では、開発業務改革を担当しています。
趣味としてピアノ、フルートを練習しています。仲間を募り年一回発表会を催しています。
自転車も昔からの趣味で時間があれば毎日のように遠出をしています。
現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか
オリンパス時代の役員時代は社を揺るがす騒動などで、およそ自分の得意とする研究や開発に従事出来ませんでした。オリンパス退任後はこれらしがらみを断ち切り、自分の理想とする、装置設計(特に自動機)に関りたいと思い、現在は京都にある小さな試作専門会社の技術顧問として、装置設計に加わっています。
すでに業界最小の産業用印刷機のプロトタイプを設計し、昨年は世界最大の印刷機器展で展示し、好評を得ています。現在はその流れで他のメーカーからの引き合いがあり、新たな設計に従事しています。
大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか
大学4年で研究室に配属になりましたが、ちょうどそのときに若槻教授が総長に就任され、新たな研究室として江尻研究室が発足しました。江尻教授を始めとして講師1人、助手2人、ドクター1年1人、マスター2年2人、マスター1年1人、学部4年3人の構成でスタートし、極めて高度な研究のメンバーとなりましたが、私は内容についていけず、もっぱら研究室の和を重視していました。いろんなイベントに進んで参加しましたが、特に正田杯駅伝の研究室からの参加は印象的でした(写真参照)。この時代に培った(上記)最初のメンバーたちとは今日まで定期的に会って懇親を深めています。
正田杯駅伝
豊中キャンパス内を疾走する正川ともう一枚は江尻研(杉本研も入っている)の出場2チームのメンバー写真です。
原子核事務室の美女2人も写っています。昭和53年(マスター2年)です。
大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください
阪大時代に忘れてはならないのは私が当時の3奇人を統括していたことです。当時をご存じの方にはK君、O君、T君と言えばすぐ分かると思います。当時は物理学科の3年は殆どの講義が旧b144教室で行われていたので、イタズラの乗りと仲間意識がありました。K君が机の上で暖を取ろうとして斎藤先生を本気で驚かせたこと。O君が杉本先生の授業で遅れて前のドアから頭にバラの花を挿して入ってきて先生ににらまれたこと(O君はその後怖くて出席出来ず原子物理の単位を落とした)。O君と廊下ですれ違うと、教授陣であってもあいさつ代わりに抱え上げられ頭上で回されるため、O君と廊下ですれ違わないようにしていたことなどあります。やんちゃが許された時代だったと思います。
これからの大阪大学理学研究科について、提言等ありましたらお教えください
最近就活がかなりクローズアップされていますが、大学の理学部は就職予備校ではないので非常に愁いを感じています。理学部を選んだ限り社会では経験出来ないようなテーマを是非選ぶべきです。私の愚息は某国立大学の理学部物理学科に入りましたが(親の宣伝が強すぎた)、マスターで選ぶテーマでFPGAと宇宙線のどちらを選ぶかで迷っているというので、FPGAは社会に出ても使うチャンスはあるが、宇宙線研究は大学でしか出来ないというと彼はそれを選び、チベットで数カ月も過ごすような滅多ない経験が出来た、と喜んでいます。学生の皆さんは就職を考えないで4~6年間を過ごしてほしいと思います。
今後やってみたいことはどのようなことでしょうか
会社を引退して時間はたっぷりあるので自転車で日本中を走ってみたいです。一昨年、引退の直後に東京->大阪を自転車で旅をしましたが、非常に素晴らしかったです。体力のあるうちにどれだけできるかやってみたいです。また、これとは対照的に楽器の演奏を充実させたいです。50の手習いで始めたピアノ、57歳で始めたフルートを人前で聞かせるレベルまで上達してみたいです。
理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか
理学部に誇りを!
理学研究科を出て38年になります。理学部で学んだという誇りは未だに健在です。特に問題解決能力は圧倒的に理学部が得意です。目先の課題を器用にこなすのはむしろ工学部出身の方が得意ですが、発展性、応用性が利きません。私は会社入社以来様々なテーマを担当し、また様々な役割を担ってきましたが、根底にある基本的な考え方は全てに応用が利きました。様々な分野にチャレンジできる後輩を皆さんで育てていきましょう。
最後にひとこと
最近理学懇話会(理学部・理学研究科の卒業生と現役教職員による懇話会)でいつも気になるのは、教授たちの元気の無さです。日常業務に追われ、予算の獲得に苦しみ、本来やりたかった研究にほとんど時間が割けない現状を聞きます。一言でいえば人手不足ですが、教授のみなさん自身の業務を展開して、低付加価値の業務を外に出すことを心がけてください。高付加価値、低付加価値をいかに上手く分け、いかにマニュアル化出来、上手く伝えられるかが大切です。
江尻研のパーティーは当時の柴田講師のお宅で昭和54年(たぶん3月)のもので私の阪大でのほぼ最後のパーティーです。
江尻教授はじめ、後に教授になった方々が多数写っています。(柴田、板橋、本林、前田、岸本、能町、大隅の皆さんです。)