先輩を訪ねて

Persons



現在はどのようなことをされていますでしょうか

50代半ばから日本化学会の常務理事兼事務局長を7年半、その後、ICCA:国際化学工業協会協議会の気候変動リーダーシップグループの議長を務め、ありがたいことに、国内外のアカデミアや産業界とのつながりが広がりました。
2020年、三井化学を退職して以来、これらのつながりや、30年以上の新製品・新事業開発の学びとともに、引き続きアドバイザーとして、気候変動やプラスチック問題対応、次世代事業開発や研究開発に関して、将来を担う次世代並びに会社幹部のサポートを行っています。
また、環境コンサルタントとして、社外の業務も行っています。

三井化学袖ケ浦研究センターでの講演(講演者が川島氏)
(2023年2月)

次世代との交流とサポート

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

日本化学会着任時に会長から与えられた大きな課題の一つが、日本の化学の存在感をグローバルに向上させる活動を行うことでした。
そこで、日欧科学技術イノベーションシンポジウムを発案・企画、2013年と2014年にスウェーデンと英国で開催し、のちのノーベル賞受賞者となる赤﨑勇博士と吉野彰博士、そして菅裕明博士(現日本化学会会長)に登壇いただきました。日本の化学の存在感向上という発想が、産業界の気候変動対応活動をリードする時も心の支えになり、今に繋がっていると思います。

川島氏が「現代化学」に寄稿した赤﨑博士の追悼記事はこちら
(現代化学2021年7月号(株)東京化学同人の許可を得て掲載)

赤﨑勇博士(右)と川島氏(左)
お二人の故郷である鹿児島にて、桜島をバックに(2016年5月)

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

高校時代までは、運動部(バスケット、駅伝)、音楽(ロックとフォーク)、生徒会など、やりたいことになんでも取り組んできました。一浪後入学して、大学紛争の最後でまだ休講も多い中、集団活動を一旦停止して、これからどう生きていこうかと考える独りの時間が増えました。三角荘一先生の研究室に入って、先生のリーダーシップのもと、新しいことに組織で取り組むことの大切さを実感しました。

三角研の秋の旅行(1978年秋)
前列左から2人目が三角先生、後列左から3人目が川島氏

大阪大学理学研究科・理学部時代に印象的なエピソードがあればお教えください

大学3年のとき理学部で行われた小竹無二雄先生(当時81歳)の講演での“化学も人生もEtwas Neues(何か新しいもの)”というメッセージが心に残っています。また、三角研として初めてのクラウンエーテルのテーマを与えられた経験が、社会人になってからずっと新製品・新事業開発に積極的に取り組むことにつながりました。
三角先生から社会人としてのマナーを教わったことも忘れられないです。三角研恒例の年末餅つき会のあと、お土産を持ってお借りした臼と杵を先方にお返しに行った際、お土産は要らないですよと言われて、素直に持ちかえったところ、お礼の品はちゃんとおいてくるものだと、指導をいただきました。社会人としての一歩でした。

小竹無二雄先生(三角荘一先生の教授室に飾ってあった写真)
(大阪大学理学研究科化学専攻 構造有機化学研究室 所蔵)

これからの大阪大学理学研究科・理学部について、提言等ありましたらお教えください

より基礎的な研究を重んじる理学であるからこそ、流行りの社会実装に拘らず、これまで誰もやってこなかったあらたなテーマにチャレンジすることが大事だと思います。
新しいテーマ探しには2つのきっかけがあります。一つは社会のペインからネタを掘り起こすこと、もう一つは自らの好奇心に基づくことです。そしてそれを成果に結び付ける秘訣は、自身の経験から、ただやりたいという気持ちだけでなく自分が得意とするもので完全装備していくこと、そしていつ何に出会えるか分からないので社内外とのコミュニケーションやネットワークを大事に準備しておくことです。

今後やってみたいことはどのようなことでしょうか

30代後半から50代半ばまで取組んできたポリ乳酸の事業開発は、生分解性という新機能、化石原料からバイオ原料への転換への挑戦でした。環境に良い材料を阻むのは環境のために作られた法規制や社会システムであることなど、思いがけない学びを、新しいことに取り組む世代への刺激として伝えていきたいです。
仕事はともかく、第一の人生は周りへの迷惑を顧みずの活動も可としてきました。第二の人生は周りへの負荷をかけないように努めていきます。

川島氏のインタビュー「生分解性からバイオマスへ」 はこちら

理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか

日本化学会を退任するとき、Prof. Ehud Keinan(イスラエル化学会会長)から送っていただいた言葉です。
The secret of long life is double careers. One to about age sixty, then another for the next thirty years.
人生この辺でおしまいと思わず、チャレンジし続けたいですね。

最後にひとこと

「傍流は異端に非ず、主流の前衛なり」

経歴

1953年

鹿児島生まれ

1969年

鹿児島県立甲南高等学校 入学

1973年

大阪大学理学部 高分子学科 入学

1979年

大阪大学理学研究科 有機化学専攻 修士修了

同年

三井東圧化学(現三井化学)入社
総合研究所(アミノ酸合成)

1983年

米国留学 City of Hope National Medical Center

1985年

NY駐在事務所(新製品開発担当)

1990年

新製品・新事業開発担当
(ライフサイエンス開発部 課長、
LACEA™(ポリ乳酸)開発グループ グループリーダー、
機能樹脂事業部門 企画開発部副部長兼New Polymer開発室室長)

2009年

公益社団法人日本化学会 常務理事兼事務局長

2016年

三井化学復帰
次世代事業開発シニアアドバイザー

2018年

国際化学工業協会協議会 気候変動リーダーシップグループ議長

2020年

三井化学退職、引き続きESG推進室アドバイザー/環境コンサルタント

2022年

大阪大学理学研究科 高分子科学専攻 博士後期課程 修了
博士(理学) (大阪大学)

2023年10月04日 掲載