先輩を訪ねて

Persons



現在はどのようなことをされていますでしょうか

核科学・加速器科学の経験を活かして核医学の手法の開発に努めています。 現在取り組んでいる具体的テーマは(1)医療用放射線薬剤の開発・製造、 (2)BNCT法改良の為の開発、(3)大電流電子線ビームの利用に関する技術開発などです。

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

阪大理学部卒業後、原研・阪大・東大・KEK・東理大とおよそ半世紀に亘り基礎科学の研究に従事し基礎科学を支える研究生活を送って来ましたが、晩年に至って東理大時代にそれまでに積上った知識・経験及び人脈を活かして中性子科学・核物理科学並びに加速器科学の応用に残りの日々を費やすことを決めました。

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

「ひとのやらないことをやろう」「間違ってもひと真似をすることはやめよう」 恩師 杉本健三先生の指導精神でした。この教えはその後今日まで私の研究生活を導くものでした。「杉本精神」は、初代総長長岡半太郎先生の揮毫『勿嘗糟粕(そうはくをなむるなかれ)』の精神にほかならないと学んだのは後のことでした。初期の阪大教授に共通した 精神的規範があったことを感じます。

杉本健三先生

長岡先生の揮毫 「(古人の) 糟粕を嘗むるなかれ」

大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください

阪大理杉本研助手を務めた10年間は私にとって最も充実した時期でした。第2室戸台風による水害からの復旧、豊中地区への移転、新加速器の建設まで多くを経験しました。その間にも旧来の伏見-若槻-杉本先生による自家製バンデグラフ加速器を保守運転して実験をする毎日で物理以外のことも含めて鍛えられました。その間の研究のハイライトは世界初の新しい「βNMR法」の開発でした。原子核反応で作られた偏極核によるβ線の対称放射を検出し、対称軸方向に静磁場とそれに直交するRFを加えて共鳴を探す方法に成功しました。この「βNMR法」は弱い相互作用におけるパリティ非保存の発見に注目した杉本先生の発案によるものでしたが、まさに「ひとのやらないことをやろう」という杉本精神の現われでした。

中ノ島 第2室戸台風による水害

世界初 β線NMR の原理図

これからの大阪大学理学研究科について、提言等ありましたらお教えください

「先輩を訪ねて」という企画は素晴らしいと思います。大学の任務は研究と教育にありますが、とりわけ学術の魅力を次世代の若者に語り彼らの高揚心に訴える努力は大学における教育の大切な姿であると学びました。学界・産業界などで活躍する先輩の信条や夢を学び自らの道を考える良い機会を提供していると思います。しかし更に加えて提言するならば、阪大の気風、阪大らしさを浮かび出す編集が欲しいと感じます。最近残念に感じていることですが、阪大の伝統的気風、業績といえるものが若い人達によく伝わっていない場面によく出合います。長岡先生の精神は良く伝わっていない、また、例えば湯川秀樹先生の中間子論が阪大における業績であると知らない学生が少なくないなど、数多く残念な思いをさせられます。 原子核分野を振り返ると菊池研究室は多くの優秀な人材を輩出し日本の物理学を支えました。阪大の業績として注目されるべきだと思っています。永宮研、緒方研、伊藤研、伊達研、‥、また数学、化学や生物学教室にもあります。このような大阪大学の伝統を若手に理解される広報活動がもっと必要では無いでしょうか?個々の先輩を訪ねるほか、グループをも対象にして伝統的な業績を若い人達に伝える企画を期待します。

豊中_ヴァンデグラフ実験室(杉本先生・筆)

ヴァンデグラフ実験室と杉本先生

経歴

1957〜1961年

日本原子力研究所・研究員

1961〜1970年

大阪大学理学部・助手

1969〜1970年

LBL(米:UC)・ NBI(デンマーク)・研究員

1970〜1984年

東京大学理学部・助教授

1974〜1974年

New York州立大学 (米)・客員教授

1984〜1994年

高エネルギー物理学研究所・教授

1986〜1994年

研究主幹(PS実験企画調整室長)

1991〜1994年

文部省・科学官(併任)

1994年〜

高エネルギー物理学研究所・名誉教授

1994〜2004年

東京理科大学・教授

2004〜2006年

東京理科大学嘱託教授(非常勤)

2007年〜

大阪大学理学研究科招へい研究員  RCNP協力研究員

2007年〜

京都府立医科大学・特任教授

2017年4月4日 掲載