先輩を訪ねて

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現在はどのようなことをされていますでしょうか

幸い数学の研究は特に大きな装置も必要ないので、大学定年後も生涯現役のつもりで数学の研究を続けています。2013年はマックスプランク研究所に半年呼んでいただき、2015年もまた半年行く予定です。研究以外の仕事は、ほとんどしていません。いわゆる雑用がなくなったら暇かと想像していたのですが、研究というのはハードなもので、実際には現役の時以上に忙しくて大変というのが実感です。

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

数学者、特に整数論の研究者になろうと思ったのは、中学3年生のころで、理由は2つあって、一つは高木貞治の「近世数学史談」を読んで昔の数学者の活躍を知ったこと(これは実は私の世代ではよくある理由)、もう一つは直角三角形の3辺になりうる整数の構成法を自分独自で見つけて嬉しかったことです。あとは科学的進歩発展を称揚する当時の思潮に乗せられたという面もありますね。

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

学科長になったときに、学生全体をトータルに見ることができるのは実は学科長しかいないのだという事に気付き、なるべく学生全員を把握出来る方法をいろいろ考えました。留年状況の変遷の表を配布したり、学年縦断合宿というのを始めて学年間の交流を図ったり、卒業パーティーを復活したり、就職活動体験記を学生から集めて冊子にして、次年度の学生に配布したり、などなどいろいろ新しい事を考えました。

大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください

数学科では、修士課程のみで企業に就職していく人が多いので、指導教員としては、在学する2年間、どう数学の研究を楽しんでもらえるかということをベースに、修士論文の課題を出すことを心掛けたつもりですが、それなりに達成感を持ってくれた人、また期待以上の仕事をした人も多く、「すごく楽しめた」と言ってもらえた時は、うれしく感じました。今は学生がいなくて残念です。

これからの大阪大学理学研究科について、 提言等ありましたらお教えください

大学にはいつまでも問題が山積しているようにですね。私が阪大に着任した1991年には大学設置基準の大綱化による教養部改組その他が大問題になっており、即座にこれに巻き込まれて、それから極めて忙しい日々が延々と続きましたが、いつの時代にも問題はなくならないのですね。今は大変だなと傍目で思うだけで、特に提言というのは述べられませんが、良い教育と研究が普通に持続できる大学であるのを願っています。

今後やってみたいことはどのようなことでしょうか

最近、研究上の理由で中国に行く機会が多くて、数年前から中国語を勉強しています。語学の勉強はもともと好きなのですが、中国語という、インド・ヨーロッパ語族とは全く異なる言語の勉強は、新鮮で面白く感じることが多く、もっときちんとマスターしたいと思っています。中国は広い国なので、空気のきれいな季節に一度、流れ歩いて旅行してみたら面白いだろうなと思っています。

理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか

何かを勉強するというのは、人生を豊かに楽しくするものだと思っています。しかし、研究というのは、これとは異なり、もっとずっと激しい営為で、単に好きで趣味でやっている、とか、仕事だからやっている、とかいうような心境とは、かなり違うもののように思います。みなさんはどうお考えでしょうか。

最後にひとこと

阪大ホームページの研究者総覧ですが、名誉教授の欄もあるといいですね。

職歴

1971年06月

東京大学理学部数学科卒

1973年03月

東京大学理学系大学院修士課程(数学)終了

1973年04月

東京大学助手

1980年12月

理学博士(東京大学)

1991年03月

九州大学助教授

1982年04月〜1984年03月

マックスプランク数学研究所客員研究員(ドイツ、ボン市)

1991年04月〜2013年03月

大阪大学教授

1996年10月〜1997年03月

マックスプランク数学研究所客員教授

2013年03月

定年退職、大阪大学名誉教授となる

2013年07月〜2013年12月

マックスプランク数学研究所客員教授

2015年04月01日 掲載