先輩を訪ねて

Persons



現在はどのようなことをされていますでしょうか

退職後琉球大学の客員教授として沖縄に移り住みました。3年前にD1の大学院学生の研究指導を開始し、間もなくその学生さんは学位を取ろうとしています。授業はほんの少し、学生さんと一緒に、(1)Eu化合物、(2)Co化合物、及び(3)結晶反転対称性が破れた化合物の単結晶を育成し、研究の日々です。

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

60歳を超えて2年間、日本物理学会の副会長、会長になり、毎週のように東京に出張しました。その職務は真剣に行いましたが、そのためか管理職がすっかり嫌になりました。その職務が終えた時、停年が1年伸びて64歳になり、停年まで1年半ありました。この1年半研究に没頭しました。研究がこれまで以上に好きになり、継続したい気持ちが抑えられなくなりました。琉球大学を選んだのは物性物理学実験に必要な低温センターがあり、阪大の私の基で学位を取った方が勤務していたからです。

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

スタッフ及び学生さんと心を通わすことに努めました。そのため、皆がコーヒー等を飲みにくる大部屋を私の居室にし、どの学生さんとも気軽に就職のこと、研究の進行状況を議論できるようにしました。新入生を研究室に迎えた4月にはパンフレットを配って、(1)朝食をしっかり食べ、体の健康に気をつけること、(2)心の健康、(3)事故を起こさないルールをお互いに確認し合いました。特に、2番目の心の健康には時間を割き、一番気を付けなければならないのは教授である私自身であることを皆の前で言い、毎年気持ちを新たにしました。

大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください

18年間多くの学生さんと一緒に研究が出来ましたが、最後の年が一番の思い出になりました。前年度の研究室紹介の時に、研究室を閉じるので、4年生で就職したい方か、進路に迷っている方に限ることをお願いし、その年に4年生を3人迎えました。
2人の学生さんが就職を希望、もう1人は進路に迷っている学生さんでした。
進路に迷っている学生さんには他の研究室の魅力をお話しし、翌年には大学院に進学してゆきました。
就職を希望する2人のうちの1人の学生さんには、故郷の会社を就職先にすすめ、そのための対策を毎日一緒になって考えました。この時、この学生さんに優れた素質を見つけ、私はこの学生さんの助けをかりて1年間単結晶育成に没頭できました。就職も無事に決まりました。
もう1人の学生さんは部活のコーラスに熱中していた学生さんで、すんなり希望の会社が決まりました。この学生さんとコーラスグループを結成して、退職の記念事業には活躍していただきました。

理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか

遠く離れているので、大阪大学を訪れることはなくなりました。唯一のつながりは大阪大学低温センターだよりです。低温センター長を永く務めたこともあり、今も愛着があります。年2回のセンターだよりには、沖縄での日々の暮らしで感じたことを連載しています。

職歴

2012年03月

大阪大学停年退職(名誉教授)

2012年04月

琉球大学客員教授

2015年04月01日 掲載