先輩を訪ねて

Persons



現在はどのようなことをされていますでしょうか

会社入社以来、長らくコーポレートR&Dの一員として高分子合成、機能性材料開発に携わってきましたが、2012年に事業部に異動、エチレンビニルアルコール系ガスバリア樹脂、コーティング系ガスバリアフィルムの開発、技術サービス、生産を担当しました。2017年1月より初めて現場を離れ、弊社の基幹事業である酢酸ビニル系樹脂・フィルム事業全体の生産技術、研究開発、知財活動、品質管理等、技術全般を統括する部署に異動。より広い視点で現場をサポートする立場となりました。

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

入社以来25年以上、研究・開発・生産と現場に関わってきました。その知見を活かし、より広い視点で技術開発、研究開発の企画管理に関わる業務を経験したいという希望を出しており、それが取り入れられたのでは、と考えています。

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

日々の授業や実験で一杯一杯だったと記憶しています。同じ学科や学部、あるいは大学でどんな研究をしているか、また、学内で開催される様々なセミナーなど、学ぶ機会がたくさんあったのにもったいないことをしたなあ、と反省しています。

大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください

卒業を控えた年末に父親が癌で余命半年と宣告され、帰省頻度も増え修論に集中できない日々が続きました。何とか修論発表を終えましたが、最後のデータが怪しいため担当教官の森島先生(現福井工業大学学長)に再実験を指示されました。その時、「手を抜くな、ここで全力を尽くせないようでは社会人になっても通用しない」という厳しい手紙を頂きました。事情は相談していたし、修論も終わったのでもういいだろうという気持ちも正直ありましたが、徹夜を重ね再現したデータを3月31日朝に先生の机に提出、そのまま下宿から実家に引越しました。その時の苦しさとやり遂げた時の達成感・自信がその後の自分を支えてくれたと、今となっては思います。昨年先生に久し振りにお会いする機会がありました。手紙の事は覚えておられませんでしたが、今でも大事な宝物です。

これからの大阪大学理学研究科について、提言等ありましたらお教えください

少子化、研究資金調達の困難化、グローバル競争の激化など大学を取り巻く環境は厳しくなる一方ですが、日本を支える技術、人材を生み出すのはやはり大学の大きな使命と考えます。特に優秀な若い技術者が今後どれだけ活躍するか、が日本が生き残る鍵と思います。ビシビシ鍛えてほしい(と、卒業した今だから言える)。

今後やってみたいことはどのようなことでしょうか

大学で6年間高分子を学び、企業でも様々な形で高分子の研究開発に携わってきました。失敗が殆どでしたが、自分が生み出したものが製品として世の中に出ていく嬉しい経験もしてきており、高分子科学は自分の根っこと言っても過言ではないです。一方で、自分の引き出しをもっと増やし、新しいことに挑戦したいという思いも強くなり、48歳の時にMBA(経営学修士)を取得、新しい学びに加え人脈も広がりました。今後は技術をベースに、ビジネスやグローバル化といったより広い視点で日本の競争力を高める役割を担いたいです。

理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか

学生の皆さんへ:私は42歳で工学博士号(論博ですが)、48歳でMBAを取りました。仕事も、(嫁さんに言わせると大したこと無いそうですが)家事・育児・介護もしながらなので時間を作るのと新しいことを覚えるのが本当に大変でした(楽しかったですが)。皆さんは若く、そして24時間、勉強や実験、議論に没頭できると思います。とても羨ましいです。もちろん、学びは卒業してからもずっと続きますが、その習慣、基礎体力をつける意味でも学生時代はとても重要と思います。大切に過ごしてください。

経歴

1989年

理学研究科高分子学専攻 博士前期(修士)課程修了
(株)クラレ入社、中央研究所化学研究室
アイソタクチックPVAの合成と物性(後に工学博士取得)

1993年

米国SRI(Stanford研究所)に研究派遣
メタロセン重合触媒の調査と開発

1995年

高分子研究所
事業部支援開発(PVA系繊維、ガスバリア性樹脂他)

2002年

つくば研究所
透明光学樹脂、エラストマー系燃料電池用電解質膜

2009年

くらしき研究センター合成研究所 所長
ブロックポリマー型有機薄膜太陽電池

2012年

エバール研究開発部 兼 クラリスタ生産部 部長
エチレンビニルアルコール系ガスバリア樹脂の開発

2017年

現職務

2017年3月27日 掲載