先輩を訪ねて

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現在はどのようなことをされていますでしょうか

オープンイノベーションの責任者として、アカデミアの画期的な研究を見つけ出し、それを育てて産業化に結び付けることを行っています。一番の目標はアカデミアの研究の中から産業化にどれが結びつくのかを見極めて、日本発の画期的新薬を創生することです。また、社内外のリソースをうまく利用し結び付けて知財、法務、会計などのサポートができる人材の育成を心がけています。

現在の活動(研究も含め)はどのようなきっかけで始められたのでしょうか

私の入社時の塩野義製薬研究所は塩野義大学院と揶揄され、ライフサイエンス系では九州大学よりも多くの学術論文を書いていました。その後、アカデミアと共にインターフェロン、インターロイキンなどのバイオ医薬品の研究開発に関わってきましたが、基礎研究所の閉鎖に伴い、産学連携を含むオープンイノベーションの部署の責任者に任命されました。製薬企業ではいち早くオープンイノベーションの仕組みを構築して立ち上げ、現在は各社のモデルとなっています。

大阪大学理学研究科時代に、心がけていたこと・大切にしていたことは何ですか

私の入学時に分子生物学の研究ができる大学は大阪大学と名古屋大学しかありませんでした。それ故、パイオニアとしての自負と学会を引っ張って行こうという気概が学科全体に有りました。新しいアイデアを考え、実践していくことを大切にしていました。

大阪大学理学研究科時代に印象的なエピソードがあればお教えください

私の入学時の生物学科は定員が20名、大学院生理学専攻は定員4名と少なく、お互いが新しいことをやろうという意識にあふれていました。大学院の研究室は中之島の旧医学部の蛋白研内にあり、一階が元霊安室の非常に古い建物でした。このように古い建物で、最新の研究がされているというギャップがすごかったです。また、今とは時代が違うのでしょうが、当時の指導教官であった小川英行教授、松原謙一教授より研究マネジメントを背中を見ながら教わりました。

これからの大阪大学理学研究科について、提言等ありましたらお教えください

産業界は大学、特に大阪大学理学研究科のようなところには中途半端な産業化を意識した研究というよりはむしろ圧倒的な基礎研究を行って欲しいです。本当にイノベイティブな研究は産業界が放っておきません。
また、現在はチームワークで仕事をする必要があります。そのため産業界が期待する人物像は柔軟な考え方を持った人、包容力がありコミュニケーション力の高い人です。このような人物の育成に努めてほしいです。

今後やってみたいことはどのようなことでしょうか

やはり、一番の目標はアカデミアの研究の中から、日本オリジナルなアイデアに基づく画期的新薬を創生することです。また、まだ日本では数少ない専門家を統合することができ、オープンイノベーションができる人材の育成を行いたいです。

理学友倶楽部の部員にメッセージをいただけますでしょうか

アカデミアはアカデミアの役割があり、インダストリーはインダストリーの役割があります。もちはもち屋である。お互い得意分野をますます磨くことにより、日本の産業競争力、大学の力を上げていきたいです。そのためにますますの協力をお願いしたいです。オープンイノベーションのためには二つの「そうぞうりょく」想像力と創造力が必要です。

最後にひとこと

医薬品業界は皆さんが持たれているイメージとは違い、オープンでしかも産学連携などのオープンイノベーションを積極的に取り入れる業界に変貌しています。皆様の有望な研究を困っている患者さんのために役立てることも考えていただきたいです。

経歴

1977年

大阪大学理学部・生物学科卒業

1979年

大阪大学大学院・理学研究科・生理学専攻修了

同年

塩野義製薬株式会社研究所入社

現在

同社シニアフェロー
大阪大学大学院基礎工学研究科・特任教授、
大阪大学サイバーメディアセンター・招聘教授、
徳島大学研究支援・産学官連携推進部・客員教授、
大阪商工会議所 ライフサイエンス振興委員会 副委員長、
特定非営利活動法人 近畿バイオインダストリー振興会議 副理事長などを兼務

2014年

大阪府薬事関係功労者知事表彰(薬学研究)

2016年01月20日 掲載