世界的にもユニークな理学研究科附属の
化学熱力学研究センター

世界的にもユニークな理学研究科附属の化学熱力学研究センター

はじめに

 理学というものに憧れ、1958年に理学部に入学しました。3年次に化学科を選び、4年次に卒業研究の場として、化学熱力学の研究を推進されていた関集三先生の研究室に入れていただきました。大学院修士課程修了後に教官に加えていただき、1979年からは理学部に誕生した世界的にもユニークな化学熱力学の研究センターに所属し、2003年に定年退官しました。この様な経歴に鑑み、センターのことを少し紹介させていただこうと思います。

熱力学の重要性に関する仁田勇教授の科学思想

 熱力学は18世紀末の産業革命を機に熱工学として誕生した学問ですが、熱工学に限らずあらゆる物質や自然界の理解に本質的な役割を果していることが判明しました。20世紀に入ってからは、熱力学はエネルギー(潜在力)とエントロピー(内在する乱れ)という二つの概念を駆使し、量子力学や統計力学と連携して、原子や分子の集合体である物質のさまざまな性質と変化をマクロな立場から探求する科学、すなわち化学熱力学に育ってきました。現代科学の趨勢は原子や分子そのものの性質をミクロな立場から解明する方向に進んでいます。しかし、「木を見て森を見ない」という諺が教える如く、木を見るミクロな分子論的研究と森を見るマクロな熱力学的研究が優劣を競うのではなく、互いに相補的役割を果たすことにより相乗効果を醸し出すことこそが、科学の健全な発展にとって極めて重要です。その点で、一見古典的研究手法にみえる熱力学的研究の重要性が再認識されています。
 幸いなことに大阪大学理学部では、その創設期に結晶構造解析学を主宰された仁田勇先生(帝国学士院賞受賞、文化勲章受章、日本学士院会員)(写真1)の「ミクロな構造の研究とマクロな熱エネルギーの研究は、あたかも車の両輪のように発展されねばならない」という科学思想が良き礎となり、仁田研究室ではX線結晶構造解析と並行して、当時助教授だった関集三先生を中心に熱力学的研究が展開されました。

(写真1)仁田勇先生

理学部附属化学熱学実験施設の創設に
ご尽力された関集三教授

仁田先生の「構造と熱エネルギーの両視点からの研究の重要性」という思想は、後任の関集三先生(写真2)や菅宏先生(写真3)の流れの中に着実に根づき、ミクロな構造を視野に入れながらマクロな熱エネルギーを対象とする化学熱力学の研究が、大阪大学理学部で大々的に展開されるようになりました。永宮健夫先生(日本学士院恩賜賞受賞、日本学士院会員)が設立された極低温実験室(現低温センター)には日本で第2号機となるヘリウム液化装置が設置されましたが、そこに参加させて頂いてから熱測定は本格化し、極めて高い国際的評価が得られるようになりました。もはや一講座の枠では律しきれないと判断された関先生は、化学・高分子学両教室の支援を得て研究施設の創設を1975年に提案されました。文部省から10年の時限付きで理学部附属“化学熱学実験施設”(写真4)の設置認可がおりたのは4年後の1979年になり、関先生の定年退官と重なってしまいました。更なる発展の夢を託して、弟子たちへの素晴らしい置き土産を遺されたのです。そんな誕生の経緯があって、以後は講座と施設は一体となって運営されています。
 関先生は、第二次世界大戦直後の1946年にアメリカで誕生した化学熱力学に関する国際会議”Calorimetry Conference”の若々しい熱気に啓発され、我が国にもこの様な研究発表の場の必要性を痛感され、熱測定討論会の発足にご尽力されました。第1回熱測定討論会は日本化学会主催のもと、大阪大学松下会館で1965年11月に開催されました。討論会の母体として、熱測定研究会を1969年に組織され、1973年には日本熱測定学会の創設を主導されました。関先生は、大阪大学理学部のみならず我が国全体の化学熱力学のレベルアップと国際協力にご尽力されました。

(写真2)関集三先生


(写真3)菅宏先生


(写真4)化学熱学実験施設(阪大化学熱学レポート1984より)

化学熱学実験施設のその後の展開

 1989年3月に化学熱学実験施設は10年の時限を迎えましたが、ユニークな研究施設として時限の枠を取り払い存続させることへの強い要望が国の内外から寄せられました。それを受けて1989年5月に、10年の時限付きで理学部附属“ミクロ熱研究センター”の設置が文部省から認められました。センターの名称に「ミクロ」が付いているのは、従来の熱測定では検出が困難とされていた微少量の測定試料が示す微少なエネルギー変化を、革新的な改良で正確に測定できるようにすることを目標としたからです。
 1999年3月の時限到来に先だち、外部評価・提言委員会(外国人委員2名を含む総勢9名)の査定を受け、高い評価を得ました。その結果、1999年4月から10年の時限付きで理学研究科附属“分子熱力学研究センター”の設置が文部省から認可されました。当時は施設の改組に際し、外部評価が全国的に重要視され始めた時期であり、大阪大学理学部における最初の外部評価の対象となりました。本センターの目標は、熱測定から得られたマクロな熱力学量であるエネルギーやエントロピーを、量子力学や統計力学との連携で、原子や分子の集合体である物質のさまざまな性質と変化を積極的にミクロな描像として解明することです。
 2004年4月に国立大学法人に移行したので、2009年3月の時限到来による改組に際しては、文部科学省との交渉を経ずに、学内措置として10年の時限付きで理学研究科附属“構造熱科学研究センター”が設置され現在に至っています。このセンターの目標は、仁田先生の科学思想に立ち返り、ミクロな構造の研究とマクロな熱エネルギーの研究の相乗効果をより積極的に追及することです。

化学熱力学研究センターでの研究成果と国際的評価

 大阪大学理学部・理学研究科に化学熱力学に関する研究センターが設立されてから、間もなく40年になります。この間の研究成果は、毎年12月にセンターから刊行される300頁ほどの「阪大化学熱学レポート」(写真5)に詳しく記載されていますので、興味ある方はセンターのホームページをご覧ください。
 施設の発足以来、国内外の研究機関からの学問的接触が増え始め、多くは共同研究として発展しています。特に諸外国からの研究者は、学部・大学院生の会話能力や研究態度にも大きな刺激を与えたようです。ちなみに筆者が教授職を拝命した15年余りの間に、センターを訪問した外国の研究者は246名に達しました。現在の構造熱科学研究センターでは、折に触れてミニ国際シンポジウムを開催しています。国際会議開催でも大きな役割を果たしました。従来から欧州と北米とで交互に開催されていた化学熱力学国際会議を、アジア地域でも受け持って欲しいという国際純正・応用化学連合からの要請を受け、大阪で初めての国際会議が1996年に開催されました。菅先生が組織委員長を務められ、当センターが総力を挙げて運営に当った記憶は今でも鮮明に残っています。
 研究センターが国の内外で高く評価されている一つの指標として、関係者の受賞の一部に言及しておきます。研究施設の創設にご尽力された関集三先生は1976年に日本学士院賞を受賞され、1985年には日本学士院会員に選ばれました。後任の菅宏先生も1995年に日本学士院賞を受賞されました。
 上述のCalorimetry Conferenceでは、化学熱力学分野における長年の貢献を称えるため、毎年世界から1名を選考し、ハフマン記念賞を授与しています。1992年にミクロ熱研究センター長の菅宏教授に、2001年に分子熱力学研究センター長の徂徠道夫教授に、2003年に松尾隆祐名誉教授(元センター兼任教授)に、2007年に阿竹徹東工大教授(元センター兼任講師)にハフマン記念賞が贈られました。70数年の歴史をもつCalorimetry Conferenceでも、日本人受賞者は大阪大学理学研究科の関係者4名に限られています。加えて、Calorimetry Conferenceから、熱測定装置の革新的な開発とそれを用いた顕著な研究業績を対象に贈られるクリステンセン記念賞が、1999年に阿竹徹東工大教授に、2000年に稲葉章助教授(分子熱力学研究センター兼任)に、2011年に齋藤一弥筑波大教授(元センター助教授)に、2016年に構造熱科学研究センター長の中澤康浩教授に贈られました。これらの受賞は、本研究センターが名実共に化学熱力学研究の拠点として国際的に認知されていることの証と言えるでしょう。

(写真5)阪大化学熱学レポート

今後への期待

 関先生は「市販の装置を使ってもいいけれど、新しいことをやろうとしたら、独自の実験装置を作らなければならない」と常々主張されていました。まさにその通りで、阪大理学部では多くのユニークな熱量計が試作され、素晴らしい研究成果が数多く生まれ、国の内外から高い評価を受けてきました。昨今は市販の装置がハイテク化し、化学熱学の分野でも自動測定とデータ解析ソフトにより、迅速に結果が得られるものが増えています。しかし既製の市販装置の利用とは別に、新しい発想に基づく実験装置の開拓に更なる努力がなされる限り、熱学センターは今後も質の高い研究成果を出してゆくことでしょう。
 物質の性質や状態を決めているのは熱エネルギーやエントロピーなので、化学熱力学の研究対象は無尽蔵と言えます。すなわち低分子・高分子、固体・液体、結晶・非晶質、有機物・無機物、鉱物・生体物質、磁性体・誘電体、低温・高温の区別無く、実に様々な状況下で研究を行なうことができます。このことは熱力学以外の研究手法では叶わないことです。これからもこの特徴を積極的に生かし、熱測定の力量をあらゆる分野で発揮して欲しいものです。
 長い伝統に裏づけられた大阪大学理学研究科の化学熱力学の研究センターが果たす役割は、極めてユニークであり重要です。国の内外との連携を密にして、本センターが益々発展することを願っています。

筆記者 情報

大阪大学 名誉教授

徂徠 道夫

SORAI Michio

■経歴

1962

大阪大学理学部 卒業

1964

大阪大学大学院理学研究科無機及び物理化学専攻修士課程修了(理学修士)
大阪大学理学部教務員、その後助手、助教授

1968

理学博士(大阪大学)

1974-1976

フンボルト財団招聘研究者としてダルムシュタット工科大学及びマインツ大学に留学

1987

大阪大学 教授

1993-1999

大阪大学理学部附属ミクロ熱研究センター長

1999

大阪大学大学院 教授

1999-2001

日本熱測定学会会長

1999-2003

大阪大学大学院理学研究科附属分子熱力学研究センター長

2003

大阪大学 定年退職(名誉教授)

■受賞歴

2001

ハフマン記念賞(The Hugh M. Huffman Memorial Award)(第56回カロリメトリー会議)

2006

名誉教授の称号(ポーランド科学アカデミー)

2012

日本錯体化学会貢献賞

2013

日本液晶学会功績賞

2017年12月21日 掲載